計りかねること

ちょっと私生活で悩んだことがあったので、つらつらと。

私の実母は、けっこうハードモードな人生を歩んできた人で、継母がいじわるだったので早くに家を出て看護学生になって寮生活をし、学費も自分で稼いで、看護師になって10代からずっと働いてきた。

嫁いでからも、嫁ぎ先の家(私の実家)がちょっと変わっていたので、いろいろ苦労したし、私も思春期に心を少し病んでいたので子育ても大変だったろうと思う。

悔しいことも、悲しいことも、一人で乗り越えてきたような人だ。

本当に尊敬している。

そんな母だからか、とても芯の強い人で、何かといえば正論が飛んでくる。

言っていることは、とても正しいし、そうあれたらいいのに!と思うことばかり……そうあろう、と私も頑張った。

それは別に理想論ではなくて、でも実現しようとするにはしんどい。

根性論者になるか、よほど自律心が強くなければしんどい。

ふてくされるか、ひどければ心が曲がるか病むかしてしまう。

私は弱かったので、10代後半に心が曲がったし病んでしまった。

なんとか乗り越えて習得したものもあるし、いまはそれがとても役立っていて助かっている。

けど、10年は精神的にいつもいつも追い詰められていたし、心療内科に何度も通い、心細くて社会不適合者になっていくしかないのでは……と不安だった。

母は『本当に助けて欲しいなら、面と向かってきっちり筋立てて助けて欲しいって言うべきだ』という。

でも、普通、最初のヘルプは、とても小さなシグナル……例えば昔なら個人ブログとか、今ならツイッターとか母の言う『しょうもない場所』でしか出せない。

『できたら助けて欲しい』の時点で助けるのは、甘いんだろうか。

私自身、正直ものすごく甘いと思う。

今後それで苦労したり、甘え癖がついたり、誰かがなんとかしてくれるだろう!なんとかなるだろう!と思ってしまったら、その人にためにならない。

ましてや、「しめしめ」と心で舌を出すような、人にたかって生きていくのが上手い人間を爆誕させてしまったら、テロリストだ。

私のツイッターのタイムラインでは、『もう少し日本人は人に頼ることを覚えて、甘えて生きていこう』という論調が高まっているけど、こういうズルいやつが得をして頑張る人が損をするようにもなりやすいのは、困ったなと感じることもある。

だけど、夫は『できたら助けて欲しい』の時点で助けてくれる人で、私の心は少しずつ回復したし、困ったことが起きても『もうだめです、是非とも助けてください』という限界まで我慢しなくなった。

そして『限界まで頑張って死にかけの人』を助けることは、私はできない……『できたら助けて欲しい』の人を助けたい。

それが未成年なら、なおさら助けてあげたい……その人が、大人になった時に「あの時、本当に助かったな」って思ってもらえたらいい。

恩着せがましいけれども、そんな助け方しか私にはできない。

なにが良くて、なにが悪いのか、私には計りかねること。

結局、よかったか、悪かったかなんて、後にならなければわからないのだ……


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