祖母が亡くなったこと

5月27日、祖母が亡くなりました。
その際には、たくさんお悔やみの言葉やお気遣いをいただき、安心して祖母を送ることができました。
写真は、大好きなひいおばあちゃんの棺に入れるために、子ども達が鶴を折っているところ。
葬儀社の人がびっくりするくらい、祖母は色とりどりの鶴(…とその他、ヤッコさん・鹿・ハート・お花などの折り紙作品達)に囲まれていました。

祖母はもう6年以上、10cm近い大動脈瘤を抱えて生活していました。
80歳を超えて手術を受けるリスクは、祖母にとって耐え難いものだったようです。
当時、医師と家族・祖母で相談して、経過観察をすることに決めました。

「手術して元気に暮らせるかわからんのやったら、いつ死ぬかわからんでも好きなように過ごす」
祖母らしくていいんじゃないか、と家族みんな納得しました。
私たちも、この数年を『今日会えるのが最後かも』と思いながら祖母と接してきました。
昨年中頃には「正月を迎えられる可能性は30%」と医師から言われてもいたのですが、そうこうしている間に冬が終わりました。

年末には、ずっと気をつけていたのに転倒して骨折…2ヶ月の入院生活を余儀なくされてしまいました。
この入院中にお別れが来たらどうしよう、とそればかり心配でした。
コロナ禍において会いに行くことはできなかったし、祖母はスマホも使えなかったので。
早く自宅へ連れ帰りたい、施設を経由するのか、介護サービスはどうするのか、訪問看護は…
ほとんどの決定を看護師である母が行ってきていたので、母は相当辛かったと思います。

当事者意識が薄そうだった父が仕事を辞めて、主な介護者となった時には本当に驚きました。
もし、ここでも母に全てを任せいていたら、父はきっと後悔したと思うので英断だったと思います。
手術はできないのでベッドでの生活となった祖母が退院し、私は嬉しかったけれど、いよいよお別れが近いことはわかっていました。

祖母は越せないはずだった冬を越し、春が来ました。
私は、三女が一年生になった姿を見せることができました。
祖母が母親がわりになって世話をしてきたイトコは、無事に社会人になった姿を見せていました。
あの子はずっと独り身ではないか…と祖母に心配をかけていた弟が、婚約者を紹介しました。
孫たち、みんなそれぞれ嬉しい報告ができた春でした。

最後の日、朝から祖母は体調がすぐれなかったようです。
背中が痛いというので、父が痛み止めの座薬を入れてあげたとのことでした。
数週間はもう血圧も下がってきていて、意識晴明な時間も少なくなっていたと母が言いました。
私たちが来たときはニコニコと迎えてくれるか眠っているかだったので、せん妄状態の祖母を私はしりません。
私の中では、ずっとしっかりしたおばあちゃん。

大動脈瘤が激しく乖離して、とっても痛い思いをしなくてよかったなと思います。
家族のこともみんなわからないくらいボケボケの最後じゃなくて、よかったなと思います。
望み通り好きなことをしながら穏やかに余生を過ごせて、家で息を引き取れて本当によかった。
主な介護者の父母が、身体的・精神的・金銭的にも追い詰められる前でよかった。
文句のつけようのない最後で、大往生で、本当によかった。

これだけ好条件の最後で、「よかった」と納得できているのは恵まれているなと思います。
医療的な観点からみると、こんな穏やかにいくこともあるんだなと感心するくらいです。
数年間、ずっとしてきた心の準備も無駄ではなかったでしょう。
それでも、喪失感は大きい。

編集担当さんに、葬儀があるので返信が滞るとお詫びのメールを入れた時に、『喪失感は数年かかって徐々に癒やされるもの、はやしさんのペースで受け止めて…』といった言葉をいただいて、ポロポロと涙がこぼれました。

葬儀が終わって3日くらいは、子ども達が不安定でした。
やたら抱っこされたがったり、長女まで一緒に寝たがったり。
初めての死別だったので無理もないと思い、好きなように甘えさせています。

私は葬儀から時間が経つに連れて、なんだかぼーっとする時間が増えています。
自分では元気いっぱいのつもりなのに、おかしいなあと昨日あたりから思いはじめていました。
河原などへいって、ぼーっと石ころでも見つめていたい気分です。

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